INTERVIEW 03副業・複業教員
工業高校の教員13年から非常勤と複業へ。55歳で教壇に戻るために
大阪と島根の工業高校で13年教えた菅原夏樹さん。正規の教員を辞め、いまは中学校の非常勤講師をしながらコーチやアルバイトを掛け持ちしています。辞める前に家族と何を話したかを中心に聞きました。
この記事の要点
- 島根で適応障害と診断されて休んだ時期に、自分の人生を見つめ直し「まだやりたいことをやりきれていない」と考えた
- 一番の不安はお金。奥さんの話をまず聞くことから始め、夫婦で家計の分担を決め直した
- 辞めたあとに家に入れる額を決め、非常勤の勤務先と住まいを在職中に決めた。家賃が低いほど稼ぐ額は下がる
- 休んだあと職場に復帰して丸1年働き切り、「教員としてベストな状態」で辞めた。将来、教壇に戻るつもりだから
- いまは非常勤講師・コーチ・アルバイトなど単価の違う仕事を楽しいと思えるものだけ選んで掛け持ちしている
コミュニティのオンラインイベントとして開催した、キャリアインタビューの第3回です。ゲストは元高校教員の菅原夏樹さん、聞き手は主宰の榊原立城。当日の内容から抜粋してお届けします。
工業高校の機械科で13年
― 公務員時代は、どんなお仕事をされていましたか。
公務員時代は教員なので、学校の先生ですね。大阪で9年、島根で4年ほど、正規の職員をしていました。全部工業高校で、定時制の学校にも行っていました。
― ずっと工業高校だったのは、何か理由があるんですか。
教科ですね。僕は工業の機械科の先生なので、ものづくりの先生ということで、工業高校しか回れないんです。
いまは辞めて、中学校で非常勤の先生をしています。技術・家庭科の技術を教えていて、これもまたものづくりなんですけど。木工、エネルギー変換、生物育成(栽培ですね)、あとは情報、パソコンです。範囲がめちゃくちゃ広いので、いつも調べながらやっていますけど、すごい楽しいんですよ。
― 先生を目指したきっかけは何だったんですか。
完全に中学校の職業体験に遡るんですけど。僕はそのとき腕を折っていて、本当は工場とかでものづくりをしたかったのに、何もできないので小学校に行くことになったんです。
そこで、先生の仕事の裏側を初めて見させてもらった。一番のきっかけはそこですね。
そのうえで、先生になるなら何がいいのかなと考えたときに、技術の先生は、勉強ができるできない関係なしに、やんちゃな子もまじめな子も関係なしに、みんなから「次どうするの」と聞かれているイメージがあったんです。なんか先生っぽいなと思って、目指しました。
2回あった「辞めよう」。休んだ時間に人生を見つめ直した
― 転職や独立を考えるようになったきっかけは何ですか。
きっかけは2回あるんです。
1回目は、大阪から島根に移住したとき。本当は先生を辞めて、別の仕事ができたらなと思っていたんです。でもそのときは、計画も準備をする時間もなくて。採用試験を受けたら受かったので、島根でも先生として働くことになりました。
もう1回は島根で、適応障害と診断されて休んだ時期があったんですね。そのときに決めました、辞めることは。
― 適応障害が最終的な理由になったと。
適応障害が理由というわけじゃないんです。適応障害になって時間ができて、自分の人生を見つめ直したときに、まだやりたいことをやりきれていないなと思った。それで辞めた感じです。
僕の中では、55歳ぐらいで教壇に戻ると思っているんですよ。55歳で戻るために、それまでに経験してこなかったことを経験して、子どもたちに生きた授業をしたい。
― 生きた授業って、何ですか。
教科書で調べただけじゃなく、僕が体験したことを喋ってあげたい。リアルを見せてあげたい、というか。
それに、僕自身の一度きりの人生なので、体が動くうちに動こう、というほうが、むしろ大きいかもしれません。その経験は絶対に子どもたちに還元できる、というところで。
― 具体的にやりたいことは、辞める前からあったんですか。
そのときはなかったです。辞めてから、いま見つかったものにどんどん飛び込んでいっている感じですね。
※ 病気休暇・休職の期間や扱いは、所属する自治体の条例・規程によって異なります。
休んだあとに復職するか辞めるかの考え方は、休職したあと、復職と退職をどう考えるかでも整理しています。
不安はお金。奥さんの話を「聞く」ことから始めた
― 退職を決断するまでに、どんな迷いや不安がありましたか。
一番はやっぱりお金ですけど、それはなんとかなったんですよ。何をしたかというと、答えはコミュニケーションを大事にしたことです。奥さんとのコミュニケーションをちゃんとしたんです。
話をしたら、僕が辞めて大阪に戻ると決めたときに、「じゃあ私がしっかり働くわ」と言ってくれて。それで今がある、という感じです。
― 家族の了解を得るところで立ち止まってしまう方も多いと思います。どんなことを大事にしたんですか。
具体的に何をしたかは覚えていないんですけど、休んでいたときにコーチングを少し学んだんですよ。そこで、話を聞くということが分かって、奥さんの話をちゃんと聞けるようになったんです。奥さんも実感として「よう話を聞いてくれるようになった」と言ってくれています。
それまでは、話はするけど噛み合わないというか、上手にコミュニケーションが取れていなかった。それが取れるようになったのが、まず大きな変化でした。
― ちゃんと伝えたのかと思ったら、逆にちゃんと聞くことが大事だったんですね。
そうです。伝えて聞いてもらうには、まず向こうの話を全部聞かないといけない、というのが僕の中にあるので。僕の話を入れてもらうには、入れる隙間を作らないといけない。
奥さんは、僕自身が楽しんでいることをすごく大事に思ってくれていて。日々いろんなことをちゃんと報告して、楽しんでいるよ、ワクワクしながらやっているよ、というのを伝えていました。その姿を応援してくれるようになって、一番の応援者になってくれたんです。
― 奥さんにも不安はあったと思います。
もちろんあったと思います。僕も覚悟としては、いよいよとなったら常勤講師に戻る道もある、と考えていました。
そのうえで、辞めたあとに家のお金として僕がどれだけ入れればいいのか、という話をちゃんと決めました。個人事業主としてクライアントさんもいますけど、そこから入る分はまだまだわずかなので、給料としてどれだけ稼げばいいのかまで決めた。それは大きかったですね。
住まいと非常勤の勤務先を、在職中に決めた
― 退職に向けて、どんな準備をされましたか。
退職と同時に島根から大阪へ引っ越しだったので、まず家探しからでした。これが全然見つからなくて。3月28日に引っ越したんですけど、家が決まったのは1月4日なんですよ。それが一番苦労しましたね。
あとは、先に仕事先を見つけること。辞めたあとは非常勤講師をすると決めていました。資格と経験をそのまま活かせる仕事なので。その勤務先を見つけるために、島根から何度も大阪に通いました。
― 住まいと仕事は、どうつながっていたんですか。
僕の担当は、家賃は絶対に払う、ということなんです。家賃が低ければ低いほど、僕が稼がないといけない金額が下がる。家が決まって、全部決まった感じですね。具体的な数字を見ていく、というのがもうひとつの準備でした。
退職前に何をどの順で片づけるかは、辞める前に何をしておくか。在職中にできる準備の順番にまとめてあります。
休んで、復帰して、「ベストな状態」で辞めた
― 奥さんから、反対や引き止めはなかったんですか。
止めることはなかったですね。さっきも言ったように、奥さん自身がもう働くと決めてくれていたので。そのうえで僕が何をするかだけの話だったので、いろいろ選ばせてもらえた感じです。
― 急に言われたら、迷ったり止めたりしそうなものですが。
島根にいたときに適応障害になって、半年ほど休んだあと、丸々1年、職場に復帰しているんです。たぶん奥さんは、休んだところで、僕は辞めると思って覚悟していたと思います。
でも僕は、復帰することを一度決めて、1年間丸々働き切った。僕の中で言うと、教員としてベストな状態で辞めています。落ち目じゃなく、楽しいなという状態で。
― 休んで辞めたのではなく、復帰してから辞めたと。
理由はもちろん、将来的に復帰するつもりだからです。落ち目で辞めていたら、戻るときにその記憶が蘇るので、それだけは避けようと思って。職員室の机のマットの下に1年間の目標を入れて、ちゃんと掲げながらやっていました。
その姿を見てもらっていたから、コミュニケーションもすんなりいったのかなと思います。
非常勤、コーチ、アルバイト。単価の違う仕事を楽しく選ぶ
― 退職してから、いまの仕事に就くまでの経緯を教えてください。
大阪に帰ってきて、もうすぐ2年が経ちます。まず非常勤講師をしながら、大阪のテーマパークで働きました。
それと、一応「信頼構築コーチ」と名乗っていて、傾聴やコミュニケーションの力を上げるレッスンを、大阪に戻ってから1対1で続けています。いまはバレーボールのコーチもさせてもらいながら、ラーメン屋さんでアルバイトをしています。やってみたい仕事に、いまチャレンジしていっている感じですね。
― ラーメン屋さんを選んだのは。
ラーメン屋って、なんともハードなイメージがあって。回転も早いし。高校の先生をしていたとき、アルバイトしている生徒の中で、ラーメン屋を続けられた子は結構評価が高かったんです。いろんな状況を見て判断して、という感覚があって。
僕はやったことがないから、その子の気持ちが分からない。経験したら、その子のすごさが分かるだろうと。それに今回は立ち上げから関われる店だったので、店がどうやって育っていくのかを見たかった、というのもあります。
― テーマパークは。
僕は喋るのは得意なんですけど、深い話をするのが好きで、短い時間でパッと明るく盛り上げる接客がすごく苦手なんですよ。それをしないといけない環境に入って、自分をレベルアップさせようと思って、半年間働きました。
島根にいるときから、仲間には「来年の夏はたぶんそこで働いているから」と言っていたんです。居酒屋とか5軒ぐらい全部落ちて、テーマパークだけ受かった。運命だなと思いました。
僕は、誰かに何かを聞かれたときに「あるよ」「できるよ」と言ってあげたいんです。そのための経験や知識を増やしたい、という思いだけで、いま動いています。
― いくつもの仕事を、どう組み合わせているんですか。
ちょうど最近、分析してみたんですよ。コーチのレッスンは、Zoomで2時間話すのを2週間に1回、半年かけて伴走するスタイルで、時間あたりの単価が高い。雇われの非常勤講師も、単価は高めです。アルバイトは時給いくらで、バレーボールのコーチは謝礼程度なので、ほぼボランティア。いろんな単価で働いているなと思って。
いまは体が動くからいろんなことにチャレンジできますけど、そろそろ動かなくなってくる。ずっと長時間働くのはしんどいので、単価の高いほうへシフトしていくと、自分の時間をもっと生み出せるんだろうなと考えています。かといって、バレーボールのコーチは人とのつながりなので、ずっと大事にしたいですね。
― どの仕事も、楽しそうにやっている印象があります。
楽しい仕事しか選んでいないです。テーマパークをやめた理由も、「あと何回入ったら何円やな」と計算しだしたからなんですよ。入った動機が僕のスキルアップなのに、お金を計算しだしたら本末転倒で、楽しくなくなる。
いまのラーメン屋はけっこうな時間入っていますけど、全然しんどくないんです。「あと3日入らなあかんな」とマスト感が出てきたら、やめどきだと思っています。
辞めて分かった、知っておきたかったお金の話
― ほかに、辞めてみて分かったことはありますか。
たまたまなんですけど、辞めて最初の年は、非常勤の勤務先で社会保険に入れたんですよ。
国民健康保険だと、前の年の所得に応じて保険料を払いますよね。公務員を長く続けて年収が上がっていたので、辞めてから最初の1年は、その分の負担が大きくなるところでした。社会保険に入れたおかげで、保険料はいまの給料をもとに計算されて、しかも半分は勤務先が持ってくれる。
僕は社会保険のことまでは考えていなかったので、学校のほうから「入れますよ」と提案してもらって初めて知りました。これがなかったら、正直結構きつかったと思います。いまは国民健康保険ですが、アルバイト先でも、働く時間や条件によっては社会保険に入ることになります。知っておくべきところは知っておかないとしんどいな、というのは感じますね。
※ 非常勤講師やアルバイトで勤務先の社会保険に入るかどうかは、勤務時間・賃金・雇用期間、民間の場合は勤務先の規模などの条件によって決まり、公立学校では共済組合に加入する場合もあります。国民健康保険料の計算方法は自治体によって異なり、退職後は共済組合の任意継続を選べる場合もあります。また、住民税は前の年の所得をもとに計算されるため、退職後しばらくは、在職中の収入をもとにした住民税を自分で納めることになります。実際の扱いは、勤務先やお住まいの自治体でご確認ください。
辞めたあとのお金の見通しは、辞めたあとのお金を、退職手当から先に計算するで順を追って整理しています。
若返った。困ったのは経費と確定申告
― 実際に退職してみて、よかったことと困ったことを教えてください。
よかったことは、すごい若返ったんですよ。テーマパークで働いて口角が上がって、見た目年齢が若くなった。僕は18歳のときに25歳と言われて、25歳になったら31歳と言われるくらい、見た目のほうがずっと上だったんです。いまはラーメン屋で働いて5キロ痩せました。体を動かして、アンチエイジングできています。すごく生き生きしていますね。
― 困ったことは。
個人事業主でもあるので、経費って何やろう、というところですね。これまでずっと学校に任せていたところなので、めっちゃ調べながらやっています。確定申告も、調べまくりながら1年目はなんとか終わらせました。
ただ、自分はお金の計算が結構好きなんやな、というのは逆に分かりました。そういう意味では、よかったところでもあります。
あとはやっぱりお金ですね。僕の中で稼がないといけない金額は決まっていて、いまはアルバイトや非常勤のほうでそれを超えています。それを自分の事業でどうやって上げていくのか。自分一人の力ではなかなか難しいところがあるんだろうなと思っていて、まだそっちには全然シフトできていません。
― いきなり独立すると大変なので、少ない量から学べるのはいいステップですね。
そうですね。のんびりやっています。
「先生」と呼ばれる生き方
― 公務員時代の経験や強みは、いまの仕事にどう活きていますか。
学校の先生って、結構まじめなんですよね。まじめなところは、ずっと活かせています。
あとは、先生と呼ばれ慣れていること。自分のビジネスで、お客さんから「先生」と呼ばれることに抵抗がないんです。
教員時代は、先生という職だから、子どもたちに先生と呼ばせていたじゃないですか。でも自分がクライアントを持ったときには、相手が先生と呼んでくれるから先生になれる。初めは難しかったんですけど、それは僕が行きたかった道やったなと思い出して。先生という職を退いても、先生と呼ばれる生き方をしたいと思ったので。クライアントさんは僕より年上の方なんですけど、本当に先生と呼ばれることが、僕が行きたかった道を進めている確認にもなっています。
― ほかに、先生らしさを感じる場面はありますか。
保護者としてPTAのバレーボールに参加していたとき、全然知らないママさんから突然「先生」と言われたんですよ。「むっちゃ先生っぽいから、先生って言っちゃいました」と。目線なのか何なのか分からないですけど、先生としての立ち振る舞いが、自分の中から出せるんやなというのは分かりました。
今後セミナーをしていくとなったときも、スイッチを入れればいいんやな、と感じています。
現役の公務員の方へ
― 最後に、転職や独立を考えている現役の公務員の方へ伝えたいことをお願いします。
一言で言うと、人生一度きりです。なので、やりたいことをやりましょう。
そのためには、いろんな人とコミュニケーションを取らないといけない。それも、一番大事な人から。僕の場合は奥さんです。どうしても、自分が働きたいところの人とつながりに行きたくなるけど、まずは一番身近な人を応援者にすることが大事。そのうえで、つながり先に行かないといけないと僕は思います。順番を間違えると、結構痛い目を見るのかなと。
― 大事だからこそ、向き合うのが怖くなることもありますよね。
ずっと一緒にいるから分かってもらえているはず、は、分かってもらえていないので。分かってもらいたかったら、まず相手の話を聞いてください。そのうえで伝える。そこが一番大事です。
一番身近な人に伝えられない思いは、誰にも伝わらないと思います。
こうやっていられるのは、あのとき奥さんとちゃんと喋ったからかな、と思いますね。
― いま迷っている方も、すぐに辞めるわけではなくても、そういう話をしておくことが、ゆくゆく選択肢を広げることにつながりそうです。
そうですね。
(編集部)辞めるかどうかを決める前に確かめておきたいことは、公務員を辞めたいと思ったら、決める前に確かめる3つのことにまとめています。
55歳で教壇に戻るまでに
― 55歳で戻る、というお話がありました。改めて伝えたいことはありますか。
55歳というのに、特に理由があるわけではないんです。55歳では戻っているイメージがあるだけで、そこまでに僕がどれだけ厚みを出せるか。いまはそこを追求しています。
一番輝いてほしいのは子どもたちで、その輝いている子どもたちの前に立つ先生がキラキラしていないといけないと、僕は思っているんですよ。
僕はいまも教壇に立っていますけど、先生しかしていなかった時期より、めっちゃキラキラしています。やりたいことだらけで、それをやれているんですよ。でも、やるためにやめたこともあるし、時間をかけて奥さんとの信頼構築もしてきた。そこに時間をかけたからこそ、いまキラキラさせてもらえている。その姿を、そのまま見せたいんです。
20代の先生がキラキラしているのとは、また違うキラキラを、55歳のおっさんなら見せられるはずなんですよ。
そのために、正規の教員を続けながらいろんな人と交流することも考えたんですけど、僕の場合は時間が足りなかった。非常勤だからこそ時間の使い方を自分で決めて、空いた時間でいろんな人に会って、いろんな経験をしていく。この経験は絶対に子どもたちに還元できる。最終的に戻ったときに、絶対に役立つと思っています。

